うしろめの二代目橘家三好噺家アーカイブ

演目解説
ロイヤル 明治42年発売
派手さこそないが、噛んで吐き出すような独特の唄い方をする渋い声の、非常に味のある音曲師で、大層目玉が奥へ引っ込んで居たらしく、高座でも「私の目玉は年々と引っ込んで参りまして、今に後ろの方へ出てしまいましょう。そうしたら神楽坂へ世帯をもちますよ。それ、うしろ目の神楽坂」などと言っていたそうである。この『やっかい節』の後で唄う『かにガサ』はその目玉の事を自ら唄ったもので、いわば三好自身のコマーシャル・ソングと言えよう。(都家歌六)
演者基本情報
本名 | 中田宗太郎 嘉永7年9月~大正末? | 改名と師匠 | 朝寝坊?小夢(明治初年?.圓三郎1) 橘家?小圓三(年代未詳) 三遊亭?圓三(明治19年頃?.圓生4) 三代目三遊亭圓好(明治22~23年頃) 二代目橘家三好(明治34年) 立花家夢輔(明治45年) 柳家三好(大正2年.小さん3) |
---|---|---|---|
出身 | 未詳 | ||
活躍年代 | 明治ヒトケタ?~大正半ば? | ||
出囃子 |
演者解説
明治初年?入門。
明治から大正時代へかけての音曲師。派手さこそないが、噛んで吐き出すような独特の渋い声の、非常に味のある唄い方をする人で、何時も名人四代目圓喬のヒザ(真打<トリ>の前に上がる色物のこと)を務めていたといわれる。渾名を“うしろめの三好”という。たいそう目玉が奥へ引っ込んでいたらしく、自分でも高座で「私の目玉は年々引っ込んで参りまして、今に後ろの方へ出てしまいましょう。そうしたら神楽坂へ所帯を持ちますよ。それ、うしろ目(牛込)の神楽坂」などといっていたそうである。
没年は不祥であるが、六代圓生談としては「たしか震災前まで生きていた」とあり、仮に震災の年の年齢としたら70歳位である。(都家歌六)

紹介している音源や資料は、「ご存じ古今東西噺家紳士録」「古今東西噺家紳士録」でお楽しみいただけます。