品川の圓蔵 四代目橘家圓蔵噺家アーカイブ

品川の圓蔵 四代目橘家圓蔵
演目解説

独逸ベカ 明治39年頃発売
四代目円蔵は明治39年の独逸ベカに『吉原一口噺』『昔の三題噺大根売』『八尽し』の三席を入れているが、有難いことに入手した盤では、前者の二席が両面になっているため、お目に掛かっていないのはあと『八尽し』のみである。この『吉原一口噺』は一名『廓の穴』ともいわれ、あの吉原の情景を、まのあたり見るが如く、ましてこれは懐顧談ではなく、明治39年という、当時の写実そのものであるから尚更であるが、噺家のゲス言葉と共に生きた風物詩としても、まことに貴重な録音と言えよう。しかも非常に鮮明に吹き込まれており、その上盤質も良いので、これが明治の声かと驚くほどの生々しさが感じられる。(都家歌六)

演者基本情報
本名 松本栄吉 元治元年~大正11年2月8日 改名と師匠 三遊亭?さん生(明治20年6月.圓生4)
四代目橘家圓蔵(明治23年9月)
出身 未詳
活躍年代 明治20年~大正11年
出囃子
演者解説

明治20年6月入門、明治23年9月二ツ目、明治30年10月真打。
痩身痩躯で才気縦横。そして驚くべき能弁で軽妙洒脱な芸風は、人情物よりはむしろ滑稽物にその本領を発揮。北品川に住んでいたところから、俗に“品川の圓蔵”と呼ばれた。その呼び名のせいではないが『品川心中』を得意とし、『高尾』『お血脈』『廓の穴』といった地噺や、特に立て板に水の能弁を生かした『弥次郎』『首提灯』などの水際立った鮮やかさは、まさに絶品であったと今に語り伝えられており、芥川龍之介をして「この人は全身舌だ」と驚嘆させたという。
門下には五代目圓生、そしてその子息である六代目も共にその薫陶を受けた。この四代目圓蔵、大正11年2月上席の横浜新富亭へ出演中、気管支炎のため休演。8日の朝、59歳の働き盛りで急逝した。(都家歌六)

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