百面相の三遊亭福圓遊噺家アーカイブ

百面相の三遊亭福圓遊
演目解説

ビクター 大正初期発売
三遊亭福円遊は声色や百面相を得意にしていた。このレコードは『曽我石段』は曽我物の芝居で、鶴ケ岡八幡の石段前で工藤の家臣近江小藤太成家と八幡三郎行氏と出合い、闇の中の石段で立ち回りになる場面。声色は寄席の客と歌舞伎の客が同じだった時代は大変喜ばれた芸で、専門の声色師もいたが、落語家も噺の中に取り入れた。明治末期の米国ビクターの出張録音盤より。(岡田則夫)

演者基本情報
本名 新井徳次郎 安政5年8月15日~大正末頃? 改名と師匠 麗々亭柳作(明治10年代?.柳橋4)
麗々亭柳右(明治23年頃)
三遊亭遊人(明治20年代半ば頃.圓遊1)
三遊亭い圓遊(明治32年)
春風亭小柳朝(明治34年.柳朝3)
三遊亭遊團次(明治35年?.圓遊1)
三遊亭福圓遊(明治36年)
出身 未詳
活躍年代 明治10年代?~大正末頃?
出囃子
演者解説

明治10年代入門、明治32年真打。
柳派と三遊派を行ったり来たりして改名を重ね、同じ名前を二度名乗ったりしているので、改名年代もなかなか確定しにくい。遊人のときに生人形で売り出し、い圓遊と改名して一応真打の披露をしたらしい。その後再び柳派へ行き、また三遊派に戻って出直すが、結局は中看板に終わった。大正元年の<演芸倶楽部>に「百面相が得意な三遊亭遊人が器用で又仮声を遣ったが、これは風変わりに滅多に他人が遣らぬ尾上幸蔵や市川小團次を遣った」と見える。晩年は専ら百面相を売物にした模様で、顔付類に名前が見えるのは大正14年ごろまで、それ以後見えなくなるので、大正末頃の没かと思われる。(山本進)

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