柳橋の三代目三遊亭圓橘噺家アーカイブ

柳橋の三代目三遊亭圓橘
演目解説

トーキョー 大正5年発売
益田太郎冠者作の、大正時代の新作落語。片言の英語をあやつり、知ったかぶりを振り回すを西洋かぶれを諷刺。当時は周囲に、そういったハイカラさんがいたのだろう。人力車全盛の時代に落語の中に自動車を登場させたのは目新しかったと思う。ハンドルのことを「カジ」という言葉を使っているところなどにも大正時代を感じる。大正5年の録音。圓橘は古典新作使い。太郎冠者の新作をよく手がけ、その中に現在も演じられている『宗論』がある。(岡田則夫)

演者基本情報
本名 塚本伊勢吉 慶応4年2月7日~大正5年10月24日 改名と師匠 柳家?小夏(明治18年.小さん2)
三遊亭遊七(明治21~22頃.圓遊1)
初代三遊亭遊朝(明治35年4月)
三代目三遊亭圓橘(明治41年5月)
三代目三升家勝次郎(明治29年3月)
出身 未詳
活躍年代 明治18年~大正5年
出囃子
演者解説

明治18年入門、明治35年4月真打。
すこぶる容子のいい芸人風情を匂わせた小粋な人で、その異名たるや“枕草紙の殿様”。初代圓遊門下の名物男で明るく陽気、一門では初代遊三の次に位置する古株。比較的軽めの噺が多く、新作もよくした。明治44年の三遊派月給制度の折には、反対派の中心人物として分派を起すなど骨のあるところを見せている。河内屋という芸者屋のお旦(だん)におさまって“河内屋の圓橘”“柳橋の圓橘”。のちの八代目文楽の名品『寝床』は、この人のものを醇成したものと聞く。(橘左近)

keizu009

紹介している音源や資料は、「ご存じ古今東西噺家紳士録」「古今東西噺家紳士録」でお楽しみいただけます。