シャモの三代目古今亭志ん生噺家アーカイブ

演目解説
英国グラモフォン 明治36年発売
これは歌舞伎の『清正誠忠録』で、俗に『毒饅頭の清正』と言われているもの。ここでは助六(三代目志ん生)が団十郎の清正と、秀頼の声色を使い分けている。毒饅頭を家康の一味に食べさせられた清正が体調を崩し、これから熊本へ帰るため、大阪城で秀頼に別れを告げる処。この助六の秀頼が物凄い熱演で、思わず圧倒される。唯、この秀頼が誰の声色であるかは判明しない。(都家歌六)
演者基本情報
本名 | 和田岩松 文久3年9月5日~大正7年5月10日 | 改名と師匠 | 立川談笑(年代未詳.談志4) 古今亭今三郎(明治15年頃.今輔2) 古今亭今松(年代未詳) 初代むかし家今松(明治21年12月) 五代目雷門助六(明治29年5月) 三代目古今亭志ん生(明治43年12月) 初代古今亭雷門(大正2年6月) 三代目古今庵志ん生(大正3年1月) 初代古今庵雷門(大正4年6月) 三代目古今亭志ん生(大正6年8月) |
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出身 | 未詳 | ||
活躍年代 | 明治10年代?~大正7年 | ||
出囃子 |
演者解説
入門年月日不詳、明治29年5月真打。
俗に“軍鶏(しゃも)”の志ん生という。五代目志ん生の<びんぼう自慢>の中にこんな記述がある。「この人の本名が和田岩松ってんです。その時分新橋に「今松」ってシャモを食わせる家があったから、岩松と今松でよく似ている。それで“軍鶏の志ん生”ってあだ名がついたんだそうです」。しかし、また別の説によれば、この人が高座で首をのばしている様子が、丁度軍鶏があたりを窺う感じに似ていたとも言われている。(都家歌六)

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