二代目三遊亭圓遊噺家アーカイブ

二代目三遊亭圓遊
演目解説

米国コロムビア 明治39年頃発売
二代目三遊亭圓遊の師匠は初代圓遊。初代圓遊は古風な噺を次々に明治風に改作し、人気を得た。この噺もおそらく初代が『船徳』を改作したものと思われる。若旦那が船頭になるのを俥屋の車夫になることにして、明治の新しさを出した。師匠譲りのこの噺を小圓遊(二代目圓遊)は、軽くはずむような調子で明るく演じている。「相乗り幌かけテケレッツノパー」のくすぐりのところでは、きっと大爆笑が渦巻いたことだろう。明治の匂いが濃厚に漂う珍品だ。二代目圓遊はこのほかに小円遊時代に吹き込んだ『新発明』『三題噺』『山号寺号』など数枚のレコードを吹き込んでいるが、所在が判明しているのは、この一枚のみである。(岡田則夫)

演者基本情報
本名 吉田由之助 慶応3年7月~大正13年5月31日 改名と師匠 三遊亭喜遊(明治20年代半ば?.圓遊1)
三遊亭遊志(年代未詳)
三遊亭遊雀(明治28~29年頃)
初代三遊亭左圓遊(明治30年10月)
二代目三遊亭小圓遊(明治38年10月)
二代目三遊亭圓遊(明治45年4月)
出身 東京
活躍年代 明治20年代~大正13年
出囃子
演者解説

明治20年代半ば?入門、明治30年10月真打。
二代目圓遊を名乗った人は二人いた。初代圓遊門下の一圓遊が大阪へ行き、遺族の承諾を得たと称して二代目圓遊を名乗れば、東京では一時期評判のよかった左圓遊が二代目の正統性を主張し、ここに東西二人の圓遊が出現することになる。四代目圓喬の仲介で一旦は和解するが、芸では上の大阪圓遊は諦め切れず、京阪・東京の三府では名乗らずの誓約を破って再び圓遊で出演したものの結局は消えてしまった。一方の東京圓遊も、当然二代目と目されていた兄弟子小圓遊が早逝した折、訃報を聞いてチャンス到来とばかり「しめた!」と口走って顰蹙を買ったなどは当時の語り草。こちらも名跡を持ちこたえられずに萎んでしまった。(橘左近)

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