しっちゃかめっちゃか志ん生
文:小島 貞二
 
長男誕生〜タイ焼買ってお祝い
 
 長男の清(現金原亭馬生)が生まれたのは昭和3年1月。
 
 その笹塚の世話場(歌舞伎や講談用語で、貧乏世帯の場面をいう)の最中である。母体は栄養が足らないから大変な難産で、産婆が大汗をかいて取りあげた。ゼニはなくても、ともかく正月に長男誕生はめでたい。
 
 「実ァ、申しわけありませんが、一文なしでさ。生まれちゃったものを、元通りにするわけにもいかないでしょうから、ゼニのほうを待っていただけませんか」と、頼みにくいことを産婆に頼む。「そうですね、赤ちゃんをもう一度、おなかの中へ収めるのは無理ですから、あとでよござんすよ」と、産婆もモノわかりがいい。
 
 この人のいい産婆さんのために、何とか報いようと、かみさんのフトンの下に手を入れてみると、財布が入っている。ヘソクリが30銭ばかり…。そいつを握って、駅の近くでタイ焼を買って「まァ、ほんの、お祝いのしるしに、尾頭(おかしら)付きをめしあがって下さいな」と、番茶を添えてさし出した。
 
 あとで…2ヵ月ばかりたって、そっくり金を払い終えた時、産婆さんがいった。「わたしも、随分長いこと、あちこちへお産に行ってますが、尾頭付きのタイ焼は、初めてでした。」
 
 3人の子持ちとなって、志ん生夫婦も必死である。かみさんは仕立て物で、夜昼となく働く。亭主は外へ仕事に行く。いろいろやった中に納豆売りがある。「なっと、なっとォ…」と、表を売り歩くのは、どうしてもテレくさくて声が出ない。そのくせ裏通りの人のいないところなら大声も出る。
 
 志ん生の十八番「唐茄子屋政談」の中で、勘当になった若ダンナが、唐茄子(とうなす)を売り歩くところがある。やはり人前では売り声が出ず、裏通りへ入ると大きな声を出す。こうした若ダンナの心境に、その納豆売り時代の経験が生かされている。
 
 かみさんが外へ働きに出た。志ん生は家で子守をしたこともある。ともかく必死の戦いである。