| しっちゃかめっちゃか志ん生 |
| 文:小島 貞二 |
| 貧乏〜食パンのふちがごちそう |
| “貧乏”にもいろいろある。まずしくって生活にもこと欠くのを“貧困”とか“貧苦”という。もっとも貧乏なのが極貧であり、さらに“赤貧”となる。 |
| 笹塚時代の志ん生一家は、まさにその極貧であり赤貧であった。金もない。職もない。米もない…のないないづくしである。職がないというのはおかしいようだが、師匠をちょっとしくじって、しばらく寄席へ出なかったことがある。 |
| たべものがないから、一番安値な手段として、食パンのふちの固いところを1銭とか2銭とかでわけてもらう。それに砂糖をつけて食卓をかざる。パンばかりではあきるので大豆を一合ばかり買ってくる。塩でまぶして煎(い)って、それを噛(か)むだけ噛んでお湯で胃袋に流し込む。一合では家族全員では足りないから、子供たちにたべさせ、夫婦は「さァ、もっとよく噛むんだよ。ほら、こんな具合に…」と、歯だけをガチャガチャさせていた。 |
| パンや大豆だけでは、腹のたしにならないし、栄養もとれない。そこで二人でうらの原っぱへゆく。池があって赤ガエルがいる。そいつを5〜6匹つかまえて、焼いたり煮たりして、魚や肉の代用とするのである。ときに子供たちが熱を出したり、腹をこわしたりする。大抵は塩水でなおすが、ウンとわるいときはニンニクをすって飲ませる。味におどろいて泣き出すその口に、ポンとアメ玉を一つほうり込めば、いや応なしになおってしまう。 |
| 志ん生には「びんぼう自慢」という自伝があり、私(小島貞二)がお手伝した。夫婦お二人を前に、むかし話をうかがっているとき、たまたまこの笹塚時代のどん底生活にふれ、りん夫人が突然「ワッ」と泣き伏したことがある。当時を思い出して万感胸に迫るものがあったのであろう。 |
| 「仕立てものをとどけに風呂敷包みをかかえて表へ出たとき、あまりみすぼらしいなりをしているので、巡査が不審がって、あとをつけて来ましたよ」と夫人。 |
| 「よく、一家心中をしなかったもんだ」と志ん生。ともかく、貧乏も底ぬけというほかない。 |