| しっちゃかめっちゃか志ん生 |
| 文:小島 貞二 |
| 家族構成 〜娘さん2人、息子2人 |
| 関東大震災の翌年(大正13年)の1月、志ん生家に長女が誕生する。志ん生の身のまわりを最後まで世話した美津子さんである。そのあくる年(大正14年)10月、二女が生まれる。三味線豊太郎こと喜美子さんである。志ん生の長男が馬生(昭和3年1月生まれ)二男が志ん朝(昭和13年3月生まれ)ということは誰でも知っているが、上に姉さん2人のあることは、あまり知られていない。 |
| 震災で、本郷の家は焼け残ったが、家賃はたまる一方。震災のあとは東京中どこでも住宅不足で、いくら高くても借り手はいくらでもある。家賃をためて威張っている店子ほど、家主にとって迷惑なものはない。「払うものは払って下さいよ」が、だんだんと「いいかげんに空けて下さいよ」と口調がはげしくなる。そんな中で、志ん生は2人の父親になったのである。 |
| 寄席はよく入るし、当然芸人の実入りもいいはずなのに、志ん生の入るとすぐ使ってしまう習慣は少しも改まらない。こんなことを続けていては、干乾しになっちゃうと考えたかみさんが、もう一度実家へかけ合って、亭主のためにひとはだぬぐことを決意した。 |
| 寄席は繁盛している。寄席を経営したらもうかるだろうという発想である。あちこち捜してみると、巣鴨のお地蔵さんの近くの「巣鴨亭」という焼け残りの寄席が売り出ている。そこにきめようと、パッと買う。むろん金主はかみさんの父親であり、名義はかみさんである。芸人の仕込みのほうを志ん生がやる。「こんどこそ、お前さんも、男になっておくれ」「アア、なるともさ」とはじめは順調だったが、寄席という稼業は日銭が入る。日銭が入ると、どうしても使いたくなるのが人情で、こいつをつかんでは志ん生は道楽のほうへ精を出す。半年ほどたって、帳面づらの上は黒字のはずなのに、実際は大赤字。「お前さん、男になるってウソじゃないか」とかみさん。「だっておめえ、これでも吉原へ行きゃァいい男だぜ」と志ん生。金主もあきれて手を引いた。 |