しっちゃかめっちゃか志ん生
文:小島 貞二
 
真打ち 〜タンカの手前死物狂い
 
 志ん生が隅田川馬石改め金原亭馬きんの名で、真打ち披露を行ったのは大正10年9月、31歳のときである。
 
 その3ヵ月ほど前、上野鈴本の経営者である大だんなが「おまえさんも、そろそろ看板をあげたらどうだね」と声をかけてくれて「金もいるだろうから、少しばかりなら用立てしてあげるか」とポンと200円貸してくれた。馬石の貧乏は、お見通しである。1921年の200円だから今の200円とはわけが違う。高座着一式から、くばりものまで、すっかりそろえておつりが来る。
 
 「ありがてェ」と押しいただいたはいいが「少しぐらいならかまわないだろう…」と考えたのがいけない。呉服屋へ行く前に酒屋へとび込み、ついでに吉原へゆき、バクチの方にも手を出したからたまらない。道楽の金は羽がはえてとんで行く。披露の時は刻々と近づくのに、準備は何も出来ない。
 
 そんなことおかまいなく、上野鈴本の初日がやってきた。楽屋へ大だんながニコニコ顔を出して「さァ、馬きんさん、そろそろ支度したほうがいいよ」という。
 「支度なら、もう出来てます」
 「えッ、まさか、そのナリで…」
と大だんながおどろいたのはムリもない。馬きんはいつものヨレヨレの寝間着のような、ふだん着である。大だんなの顔がみるみるエンマにかわる。
 
 その顔に向かって、馬きんは一世一代のタンカを切った。「あの金はあたしから頼んで借りた金じゃねえ。だんなのほうから勝手に貸してくれたゼニでしょう。第一、2ヵ月も3ヵ月も前のゼニなんど、今ごろあるわけァない」
 
 続いてさらに「これで上がらせてもらいます。あたしゃあ、これでも、はなし家なんだからナリを見せるんじゃねえ。芸で聞いてもらいます」と、もう、やけくそ半分である。
 
 タンカの手前、一人でも客を立たせたら負けである。その晩の馬きんは、運命をかけて全身を汗にしての熱演で、満員の客をピタリおさえた。客席のうしろから聞いていた大だんなは、満足そうに大きくうなずいていた。