しっちゃかめっちゃか志ん生
文:小島 貞二
 
甚五郎 〜甲府でみっちりケイコ
 
 志ん生の若き日の旅日記…はいろいろあるが、私はこの話が一番感動的で好きである。
 
 志ん生がまだ朝太といっていたころ甲府の稲積亭(いなずみてい)という寄席へ出た。東京では前座であっても田舎なら大看板。「甚五郎の大黒」という人情ばなしめいた大きなはなしをタップリ演じて大変うけた。いささか得意になっている楽屋へ、その席で下足番をやっている70がらみの、きたないじいさんがひょっこり顔を出して「朝太さん、今夜おやんなった甚五郎ですが、まことに失礼ですが、あれじゃあいけませんね」という。相手が下足番だからカチンと来て「そうかい。どこがいけねえんてンだ?」
 
 「怒っちゃいけませんよ。生意気いうようですが、左甚五郎てえお人は、変人ではあるが与太郎じゃアねえんです。失礼だが、おまえさんの甚五郎は、どうしたって与太郎だ」とズバリ芸の本質を突く。落語でいう“与太郎”とはウスばかのお人よしをいう。
 
 よく聞いてみると、このじいさんは四代目三升家小勝(新派の伊志井寛の父)の弟子で小常という二ッ目の落語家だったが、師匠がなくなってひとり旅をしているうちに甲府に住みつき、下足番になったのだという。「甚五郎」はオハコのネタだったという。
 
 「お前さんも、早く東京に戻って、いいはなし家におなんなさいよ。一つ間違うと、あたしみたいになっちまうよ」と意見されて、ここで一念発起、じいさんの家までけいこに通うことになった。
 
 畑の中の一軒家の気ままな一人暮らし。家の中まで鳴子のナワが引いてあって、時々そいつを引っぱってはスズメを追うのが昼間の内職である。朝太にははなしを教えながら、ひょいと立ち上がってナワを引っぱっては、また座り直してけいこを続けるという繰り返しで「甚五郎」をミッチリ叩き込まれた。
 
 この「甚五郎」(別名を「三井の大黒」あるいは「左小刀」)はのち志ん生の十八番の一つとなった。この逸話をきかせてくれたとき、志ん生の目に光るものを見た。