| しっちゃかめっちゃか志ん生 |
| 文:小島 貞二 |
| 無一文の旅 〜渡し賃は“都々逸”歌って |
| 一文なしの一人旅…というのはヒッピー族には受けるかもしれないが、実際やってみるとつらいものらしい。 |
| 志ん生が若い日、名古屋でご難にあい、東京まで帰りたいが無一文。やむなく東に向かって東海道を歩き出した。むろんはなしのけいこをしながらである。二日目の午後、浜名湖のある弁天島まで来た。渡しがあって「渡し賃八銭」とある。弱ったなあと思いながらワキを見ると、茶屋で酒を飲んで陽気に騒いでいる客がいるから「ダンナ、すいませんが、都々逸かなんか歌わせてください」とことわって、三つ四つトーンと歌ったら10銭くれた。 |
| 天の助けとばかり舟にのると、巧い具合に船頭さんが金を取るのを忘れたから、天の助けのダブルプレーである。焼きイモとせんべいを5銭買って、そいつをほおばりながら掛川まで歩いた。空腹でもうグロッキーである。 |
| 目の前に宿屋があるから、飛び込んで夕飯をかっこんで、死んだように眠る。あくる朝、「じつは、おあしがないんです。東京の芸人ですが、帰ったらすぐナニしますから、かんべんしてください。それとも代金だけ働かしていただいても結構です」と切り出したが、これは天の助けというわけにはいかない。すぐに警察へつき出される。その夜の宿はぶた箱である。退屈を持て余しているところへ一見ヤクザの親分風の男が入って来る。話を聞うて「そうかい。東京の落語家かい。そりゃあ気の毒だ。で、どうだい、オレの前で一席やってみないか」という。そこで志ん生は、その男の耳元へ口を寄せて、内証ばなしのように、一席与太郎ものを演じた。男も笑い声を出せないので、随分苦労して笑いこけた。 |
| 「落語ってものなあ、あんまりああいうところでやるもんじゃあないや」(志ん生)とは、至極あたり前の結論である。いまの柳家小さんが2・26事件(昭和11年)のとき反乱軍の兵隊にかり出され、その夜上官から「何か一席やれ!」と命令されて「小ほめ」を演じたという話と、まさに好一対といえよう。 |