| しっちゃかめっちゃか志ん生 |
| 文:小島 貞二 |
| セミプロのころ 〜何してたのかな |
| 昔の落語家は天狗連(セミプロ)から入った人が多い。志ん生もそうである。今ならテレビやラジオの“素人のど自慢”からプロ入りするケースに似る。 |
| 志ん生の天狗連時代の師匠は、三遊亭円盛(えんせい)といって大変な奇人である。この人のニックネームを“イカタチ”という。イカタチとは“烏賊(いか)の立ち泳ぎ”の略で、その容姿を一目でも見た人は、なるほどと、10人が10人とも手をたたいた。 |
| 背丈は子供のようにチンチクリン。おまけにやせている。そのくせ頭はやけに大きく、オツムは薄い。見ばえのせぬことおびただしい。ところが人間だれしもウヌボレはある。少しでも二枚目に見せようと、薄い頭に油をしたたるほどなすりつける。 |
| 羽織は裏打ちだらけで、紋は紙を切りぬいてはってある。途中で雨や風にあうとはがれるので、夏でも、もっぱらインバネス(とんび)を着用した。そして年中高ゲタと細巻きのステッキを愛用した。背を高く見せるための配慮である。 |
| 帯に金時計をまくのが紳士のみだしなみだが、本物は高いので目ざまし時計を下げた。おかげで重みでいつも帯がズリ落ちそうになっていた。さして忙しくもないのに、売れて売れてしようがないふうにふるまうので、当然言動はキザで鼻もちならない。 |
| ザッとこんな具合だから、あまり人から尊敬されるというタイプではない。先に物故した桂文楽は「酢豆腐」(すどうふ)の若ダンナを、この円盛をモデルにしてやっていた。 |
| 話がうまいまずいは別として、師匠がこんな具合では、弟子もうだつが上がらない。さすがの志ん生もこれには驚いて、チャンとした修業の出来るいい師匠を求めて“名人”橘家円喬のもとに入門して、正式にプロの道へ飛び込んだのである。 |
| 最初に入った会社がとんでもない会社で、すぐにやめて第二の会社へ落ち着いた…というようなことは、サラリーマンにもよくあることである。志ん生のセミプロ時代の話は、あまり伝わっていない。 |