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高田 文夫
 上下(かみしも)を切って語り込んでいる。もうただそれだけで感動、感謝!
 今日まで生きてて本当に良かった。至福の喜びである。たしか我らが志ん生が喋っている落語のフィルムは三席しか現存しない。
 音だけだったら正しい日本人の宝物としてたくさんある。しかし画がない。ナマの志ん生にギリギリ間にあった私の世代だが、その後の人達は音の中でしか志ん生の超人伝説をイメージできなかった。それがなんとアニメという技で息吹を与えられたのだ。
 様々な所作(演技の形)もキチンと再現されている。いまを生きる超達人である山藤章二画伯の筆によって、ついむかしの超名人志ん生がメカによって未来へ羽ばたこうとしているのだ。
 現在、過去、未来の三代噺が合体した史上最強の独演会が、各家庭で日夜ひらかれるという事を素直に喜びたい。 ああ志ん生が居る!! … ひたすら嬉しい。

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横澤 彪
 志ん生の前に志ん生なく、志ん生の後に志ん生ない。現代の浮世絵師といわれる山藤章二も人物を描かせたら当代随一の天才だ。
 ふたりの天才がコンピュータアニメというハイテクを触媒にして化合反応を起こし、大爆発したのがこのラクゴニメである。
 志ん生の落語をみごとに現代に甦らせている。ちなみに、志ん生と章二には愛妻家で江戸っ子で人間観察の名人という共通点がある。

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永 六輔
 「鏑木清方の円朝」と「山藤章二の志ん生」は噺家を描いたものとして、飛び抜けているとぼくは思うんです。
 一枚の絵をアニメとして、ぼくは楽しんでいます。だって動いていますよ、一枚でも!
 手間暇かけてアニメーションにしなくたって充分に動いています。そういう絵です。だけど動かしたい人がいて、動いた方がいい人がいるなら、アニメーションもいいでしょう。
 志ん生を知らない世代や微かな記憶の世代には、『ラクゴニメ』はこの世に志ん生を呼び戻す「反魂香」です。

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明石家 さんま
 東京や大阪の芸人という芸人は、志ん生師匠のようになりたいと、ホントのところうらやましく思っているに違いない。
 呑む、打つ、買うの三道楽免許皆伝はいうにおよばず、死んで20数年たつのに、現役の芸人より売れているなんてことをきくと、全く我ながらなさけない。たけしさんやタモリさんが束になっても、かなわないのが志ん生師匠。
 志ん生師匠のハナシはテープであきるほど聴いたが、くりかえし聴いてもやっぱりおかしい。ゾロッペで行き当りばったりの芸のようでいて、肝心なところの計算されたオチは、もううなづくしかあるまい。
 志ん生の話芸のスゴいところは、マクラの小ばなしだろう。何げなくサラッとふって本編に入るのだが、そのマクラが無性におかしく、多彩だ。そのマクラの小ばなしだけを編集するなんて、何てゼイタクなはなしだ。

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なぎら 健壱
 「志ん生師匠が甦った」なんつうことを、我が友人や先輩、それも落語に造詣の深い人間が大騒ぎをしている。
 それだけならまだしも存命な頃の動く志ん生を知らないヤカラまでがあれが志ん生か」なんぞと偉そうなことをいっている。
 で、一体何だい、その甦った志ん生ってのは?えっ、アニメーション!?よせやい、言うことに事欠いてアニメってことはないだろうよ。
 そんなもんで志ん生の芸が甦るはずがない。アタシャ悪いけど、そんなもん信用しないね。えっ、まあいいから見てみろって?よせやい、アタシャそれほど酔狂じゃないよ。
 イヤだよ、何、どうしても?気が進まないな、じゃあ何だよほんのちょっとだけな。ウ〜ン、まいったな、志ん生が動いてるよ。…本人より本人らしく動いて語ってる。確かにこりゃ志ん生だ。
 みんなに数えてやろう、志ん生が甦ったって!!
 
立川談志
 何て書こう、この嬉しさを…。“嬉しい”のだから“嬉しい”というだけであとは脈絡などあるものか。
 山藤章二に感謝!!のひとことである。よく創ってくれた。嬉しかったのなんの−笑ったのなんの−ひさしぶりに歓喜(よろこび)があった。
 志ん生がそのまま出現(でて)きた、還ってきた。いや、志ん生以上に…。それは章二さんに対する思い入れであり、それはそのまま談志(わたし)の志ん生に対する思い入れであった。
 思い入れとは、物事を客観的に考えられない人とは、同じ思い入れといってもどこかに違和感が生じるものだが、この志ん生アニメの章二さんには生じなかった。見事になかった。山藤章二と知り合っていてよかった。
 家元(わたし)にいわせりゃ、山藤章二生涯の傑作であろう。アニメとはこんなに可能性のあったものか、とあらためて識った。あの顔、あの仕草(しぐさ)−、あれが志ん生の集大成であり、我が青春の志ん生である。口惜しいから、あれは山藤章二の偶然の産物だ、といってやろうか…。
 志ん生師匠がアニメを観たらこういう…「いいよォ、山藤ってのは、うん。エー、いいよォ…、うん…」
 文楽師匠もいうだろう。「ようがすよ、あれが孝ちゃんでしょうね」
 円生師匠もいう。「この山藤章二(このひと)は結構でゲス。バカうまでゲス」やってくれたね、章二さん!!
 
山本 晋也
 ある時、なぜ志ん生がおかしいのか考えてみた。よーく考えてみた。
と、ふと、確心するに至った。「オカシサ」のために語っているのではない。アタシは何を感じ、考えたか、ただそれだけを語っている。聞き手のアナタたちのことなんぞ、一切頭にあるもんか、と。ただ「自分」だけを考え、語っておられるのだ!
 で、ボクたちはその語りの「声」が余りにもリアルでつい騙されて、堪えきれなくおかしくなってしまうのだ。それが証拠にボク、立川談遊はいくら師の語りをマネようと、高座ではウンでもスンでもなく受けないことを発見した。
 どうも芸以前のことのようなのだ。どうもあの凄いアイデンティティに圧倒されているのだ。

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糸井重里
 私はもう、かれこれ30年、あ嘘々2年くらい「睡眠学習」を続けている。
 これは志ん生のCDを聴きながら眠るというラクな学習法で、努力せずに志ん生を血肉化できるという利点がある。ただ、まだ成果はあらわれでいない。
 そこに出たのが、ラクゴニメ。これはテープ回しながら眠るわけにはいかない。目をつぶって画面を無視して眠ってしまえばいいのだろうが、山藤画伯の絵の力が、それをさせてくれない。よく見ろもっと見ろ何度も見ろと、誘惑してくるのだ。
 こうなったら、このデデオは夜でなく朝使用することにしようと思う。タイマーがオンになったら三味の音が聞こえてきて、朝の不機嫌な私に志ん生が一席語ってくれるという寸法だ。起きぬけのまっ白な脳細胞に、志ん生が、宿酔の朝の水のように、キューッとしみこんでくるはずだ。
 スポーツ新聞を床にひろげて、本日一本日の煙草に火を点け、志ん生の高座を娯しむ。図々しいね、私も。

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小島 貞二
 志ん生師がよく演じた小ばなし「三角関係」に、十月出雲に集まった神さまが、若い男女の紐を結ぶと、新郎新婦出来る。酔っぱらった神さまが、あわてて三本結んだのが、即ち三角関係…というのがあった。
 志ん生師とのおつき合いは、オツムにまだ若干毛のあったころからだから、ずいぶんと古い。自伝「びんぼう自慢」から、レコード、本の志ん生作品集の監修のほとんどを、やらせてもらった縁は、出雲の神さまが酔わないで結んでくれた紐のような気がする。
 志ん生師の魅力は単的にいうならば、“落語会の夏目漱石”である。その魅力と評価は没後何年たっても衰えることを知らない。落語のおもしろさ、たのしさを全国区のものにしてくれたのも、志ん生師である。
 当代の“東州斎写楽”である山藤章二氏が“落語界の漱石”を描く。晩年の志ん生師が、生き生きとオハコを演じてくれる。痛快と追慕…二つの“ツ”の字が、このアニメの中にある。

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