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パソコンで江戸を散策
「江戸東京重ね地図」の刊行に寄せて 逢坂剛 対談 中川惠司


2001年8月24日(金)週間読書人

 江戸の地勢・地籍を現代地図に重ねて復元したCD-ROMブック『江戸東京重ね地図』が、APPカンパニーから刊行された。パソコンの画面上で、現代の東京と、江戸の地形を重ね合わせて見ることができる、画期的な地図ソフトである。そこで、作家の逢坂剛氏と、地図の製作者であるグラフィック・デザイナーの中川惠司氏に、この地図の面白さについて、対談をお願いした。
(編集部)
 
江戸を90%復元 ジグソーパズルの面白さ
逢坂
こういう地図を作ろうと考えられたきっかけはなんだったんですか?
中川
やっぱり池波正太郎さんだったと思います。『鬼平犯科帳』『剣客商売』それと岡本椅堂の『半七捕物帳』など読んでいまして、どうも地名や道の辿り方がよくわからないんですよね。同心なり与力なりが小説の中で駆け巡るその道筋が知りたい。どのくらいの時間がかかるのだろうかを知りたいわけです。今日のテレビの時代劇を見ていても全然リアリティがない。そんなことから自分で調べ始めたんですが、ところが、何処にもそういう資料がないんですね。江戸の全体像を正確に掴める地図がないんですよ。最初は切絵図が正確なものだと思っていたんですが、あれはイラストマップの類ですから、どうにもこうにもデフォルメされていて現在の地形には合わないのです。
逢坂
まったく、切絵図は縮尺がメチャメチャですし、方位や距離が不正確で誤記や省略が多いですね。
中川
そうですね。周辺部の町屋や近郊の農村になると単なる概念図でしかないんですね。村名すらわからない。そこで、幕府の内部基礎資料に当たったわけです。いちばんのネタ本が幕府慶敷改編の『諸向地面取調書』(安政3年)。これは今でいう武家屋敷の土地台帳です。大名屋敷から下級幕臣の町屋敷にいたるまで、全ての住所と面積(坪数)が、それこそ御家人の70坪、50坪程度までがことこまかに記されている。この幕府の資料を、江戸末期の地形をほぼそのまま残している明治の実測地図に当てはめていったわけです。明治の10年前後ですと、江戸の痕跡が殆ど残っているんですね。ですから辿れるんですよ。最終的には精度という点では90%の江戸の復元が出来たと思っています。
逢坂
『諸向地面取調書』は江戸の何処までの地域をカバーしているんでしょうか?
中川
御府内全域です。南は大井町、西は中野村、北は梅田村、東は亀戸村辺りまででしょうか。
逢坂
朱引の内側を「御府内」つまり『江戸』といっていたわけですね。
中川
そうなんですが、驚くことに『江戸』という公的な行政区画は存在していなかったんですね。武蔵国の足立郡、葛飾郡、豊島郡、荏原郡、多摩郡の一部と将軍の居城を中心とした範囲が、漠然と『江戸』と呼ばれていたに過ぎないんです。文政元年(1818年)、朱引、墨引として正式にその範囲が確定されたわけです。
逢坂
なるほど、そうだったんですか。それにしても膨大なデータを地図に置き換えていく作業は大変だったでしょう?
中川
これは大変というよりも面白いんですね。一種の推理ゲームで、解釈の仕方なんですよ。  ジグソーパズルのピースをはめるような楽しさがあるんですね。いっこうに苦になりませんでしたね。
 
書き手の立場から 時代小説を書く参考に
逢坂
今回、私の初めての時代小説『重蔵始末』はこの地図のもとになった『復元江戸情報地図』(朝日新聞社)を、随分参考にさせて頂きました。
中川
それはありがとうございます。
逢坂
何処から何処まで行くのにどういう道筋を通っていたのか、どのくらいかかって行けたか。この地図を見るとほぼ見当がつくんですね。
中川
ところで、先生のお生まれはどこですか。
逢坂
私の生まれは文京区駒込の上富士前です。だいたいあの辺で幼児期を過ごしました。団子板とかね。
中川
先生が時代小説を書こうと思ったきっかけはお父上の(中一弥・挿絵画家)影響があるんでしょうね。
逢坂
そうですね。父親からは「時代考証の勉強も大切だが、話が面白いか面白くないかが、いちばん肝心なんだ」といわれています。親父自身は、そういいながらも時代考証にうるさくて、他の作家の間違いをよく指摘していますけど(笑)。『御府内沿革図書』とか切絵図とか親父にもらったりして、それを楽しんでいました。
中川
『御府内(及び場末)往還其外沿革図書』(文化5年〜文久3年)は幕府がほぼ55年の歳月をかけて地勢の変遷を追跡調査した測量地図ですが、中心部しか復刻されていないんですよ。
逢坂
私は江戸の町を書く上で町々の木戸を知りたいんですね。なぜ、木戸にこだわったかというと、三田村鳶魚の江戸本に寛政3年の春に盗賊が横行したという記述があって、その中に葵小僧の話があります。当時、あれだけ夜中に木戸が閉まって通れないところを、葵の御紋をつけて行列を作り、どうやって押し入って何処から逃げたのか、というようなことが、よくわからない。相当な話題になったはずなのに、何の記録もない。木戸を通らないで裏道を抜けて、他の町に行くことも不可能ではなかったんですかね。

木戸を通らないと抜けられないというのであれば、泥棒なんて成立しませんからね。
中川
おそらく神田・日本橋・下谷・浅草あたりですとかなり歴史が古いし町自体が狭いから難しいとは思いますが。例えば新興の市街地で青山・麻布・白金・駒込辺りですと、これは抜け道だらけだったと思います。
逢坂
ああ、なるほど。人家が密集していませんからね。つい今の感覚で、どこもかしこも家だらけと考えるもんだから…。しかもその頃は、街灯なんかなかったわけですね。辻番に常夜灯があったくらいですから。真っ暗な所を夜中に歩いてどうなるのか。
中川
芝居も日中だけですからね。だいたい火事がこわいから火を使わせないわけですよ。
逢坂
そのあたりのことを追跡しようという人は少ないですね。実にいい加減な捕物帳が多いですね。
中川
いい加減なものといえばセリフがお粗末なものが多いですが、先生のものは本当にセリフがいきいきしていますね。
逢坂
それは嬉しいですね。実に中川さんのような方に読んでいただきたい(笑)。私のような後発の時代作家は、先輩と違いをつけなきゃいけない。一番疑問に思っていたのは言葉のセリフ回しで、なんとか江戸時代に近づけたいと思っています。
中川
時代小説を読んでいて、いちばん困るのは、現代の言葉と江戸の言葉が混在しているのが多いんですよ。これは本当に煩わしいですね。私は装丁もやっているもんで、そういう小説のものは断るようにしている(笑)。

池波さんが亡くなってから、言葉遣いに無神経な小説が多くなったように思います。
 
池波正太郎の魅力 想像力をかきたてる
逢坂
私も『重蔵始末』を書くうえで何度も鬼平を読み返しましたけど、上手いですね。とにかく池波さんが描くと行間に想像力を掻き立てる力があるもんだから、一編の長編を読んだような満足感があるんですね。読むときの心境や立場によって、想像力も違うんですよね。だから古い作品でも、新しいものを読むように読み出しちゃうんですね。最後の二、三行まで来て「あ、これ前に読んだ」というような感じになることがよくあるんですよ。いつ読んでも新鮮だっていうのが、亡くなった後でもコンスタントに売れている最大のヒミツですね。それだけ池波さんの小説には、時代を超えた普遍的な魅力があるんですね。作家冥利につきる。あやかりたいものです。あの域に達するには十年、二十年軽くかかりますね。
中川
それにしても、池波さんは短編の名手ですね。
逢坂
なんでも小説は短編が言けるようになると一流だといいます。私も近藤重蔵を書くときに大長編で評伝を書こうと思ったのですが、それだと書いてもあんまり面白くないし、むしろ時代を追いながら全体としては評伝だけれども短編の連作としてやろうとして始めたんです。何年かかるかわかりませんが書き続けようと思っています。
中川
今回、私も読み直したのですが面白くて仕事を忘れるくらいでした。読み直してみると、池波さんにも間違いがあって、『剣客商売』の秋山小兵衛の嫁が関屋村からきたというんだが、正しくは関屋村というのはない。「関屋の里」という里俗地名を池波さんは関屋村としているんです。僭越ながら鬼平を検証させていただきました。『江戸買物独案内』(えどかいものひとりあない)という江戸の町を知る上で大変便利な本があるのですが、本郷の商家の屋号と日本橋の商家の名前をくっつけたりしている。池波さん、こりゃニヤニヤ笑いながらやっていたな、と思ったりしますね。
 
データベース検索 二つの時代を自由に行き来
逢坂
一般の読者にはわからないことですね。もちろん小説で許される嘘はあるわけで、鬼平の役宅だって元々は本所だったところを清水御門外にして。私の小説でも麻布ではなく、自分がよく知っている表神保町にしている。池波さんが使ったのは幕末の切絵図ですから実際描かれている天明、寛政の頃と違うんですよね。その頃は切絵図がなかったわけですからそれはしょうがないですよね。

今、書いている重蔵で江戸を見ていると、寛政から文政にかけての時代が一番おもしろいですね。文化的にも文化・文政時代に江戸文化が花開いたときです。あの頃は大田蜀山人や山東京伝などもいて、もっとも文人墨客が輩出した時期ですね。特に近藤重蔵はそういう文人とも付き合いをして、いろんな人の随筆に出てきますね。
中川
「近藤重蔵」のような魅力的なキャラクターがロングセラーになっていくのを楽しみにしています。
逢阪
従前、朝日新聞社から出された『復元江戸報地図』と今回のCD-ROM『江戸東京重ね地図』で大きく違っているところはありますか?
中川
最大の特徴は画面上の操作で、二つの時代を自由に往き来できることですね。これは、まさにマルチメディアの醍醐味ですね。従来の書籍ですと、地図の重なり具合がどうしても見づらかった。それと検索性が優れたところでしょうね。時代小説ファンのために鬼平犯科帳に登場する地点を全て検索できるようにしました。パソコンを操作しながら江戸の町を散策した気分に浸れると思いますね。紹介エリアも朱引の外まで広げて、ほぼ現在の23区が一部でも掛るようにしましたから。その周辺の農村地域の旧村名と村界も明らかにしました。それと『新編武蔵風土記稿』(文政10年頃)を基礎に各村に何戸の農家があったということまで図示しました。これも初出のデータです。

それと私は仏教関係に興味があるものですから、寺の本末関係(本山と末寺)なども調べましたが宗派変えなどがあって、実に面白い。
逢坂
あぁ、なるほどね。
中川
地名、寺院、神社、公儀、大名、文化などのデータベースから検索総数が約二万にもなりました。今回の調べでは、江戸の町は2125町(里俗を含む)にもなるんですね。それと里俗の町名や門前町屋などが明治になって正式な町名になるのですが…。その差異も明らかにしました。

また、御府内の大名屋敷は1500を越えるんです。たとえば尾張でいいますとね、上屋敷の外に50数箇所の屋敷があるんですね。それだけあると、鉄炮の調練でつかっているとか、馬の早駆けをしたり、家来を住まわせたり、親族を住まわせたり、たびたび幕府から禁令が出ているにもかかわらず、広大な抱え屋敷を買っている…。
逢坂
まだまだ判らないことがいっぱいあるんですね。
中川
それと大名同士の貸し借りも、ものすごくあるんですね。貧乏大名が町人から金を借りて六つも七つも屋敷を持っていて、その手入れはどうするんだ。何に使われたのかというと、百姓に貸して単なる農地としている。利用法がどうしてもわからない。このへんは学者に言わせると、これから研究するテーマだっていうんですがね。
 
江戸の輪郭を掴む 印象だけでなく全体像を
中川
実はこの仕事をして痛感することがありましてね。仕事のコンセプトにもなるんですが、どうも江戸というと情緒、風情、名残、そういうノスタルジーの対象でしかない。歌舞伎で江戸情緒をあじわった、言問団子を食べて昔をしのんだ、相撲をみて、その伝統美に感動した。ただそれで終わり。集合された形で江戸文化の総体として捉えることができない。そうすると、たかだか150年前の、260数年続いた政治システムである江戸期の輪郭が情緒的な印象の断片に分散されてしまって、現代人の意識を形成する母体となった時代の、全体像が見えてこない。その生態と都市構造がすっかり忘れ去られてしまった。
逢坂
全くその通りですね。
中川
それを後世に残しておく必要があると思ったわけです。その第一歩が地図であり、少なくとも江戸(御府内)という地形と地勢という形と色に表れた一枚の構図として残しておきたい。これは国も、東京都も、東京大学もやらなかった。この作業に手をつけたのは私が最初なんですね、結局のところは。江戸の町の構造は作家の方にしても掴みきれていないと思うのですが、いかがでしょう。
逢坂
その通りですね。掴もうと思うんですが、誰もつかめないんですよね。それが初めて掴めたのが、この『江戸東京重ね地図』ですね。江戸という町がおぼろげにこういうものだったということ。

江戸ができれば京や大坂や地方都市にも広がっていってもいいんじゃないかと思いますね。
中川
東京の明治、大正、昭和、現代というプロセスを地勢図で追っていく作業がこれから残された仕事です。区単位でやりかけているところもあるんですが、総合的に都としてやってほしいですね。
逢坂
東京の地図は私も明治、大正、昭和と十年刻みで持っていますが、それを見ていると道筋がかわっていく変化を見るのが楽しいですね。

今後この地図を使わずに、江戸ものを書く人はいないと思いますね。

この地図の存在は、あんまり人に教えたくないですな。こういう便利な地図は、自分だけのものにしておきたい(笑)。

逢坂 剛 氏
 おうざか・ごう氏は作家。中央大卒。
 著書に「カディスの赤い星」「斜影はるかな国」「よみがえる百舌」など。
 1943(昭和18)年生。
中川 惠司 氏
 なかがわ・けいじ氏はグラフィック・デザイナー、イラストレーター。
 東京芸大卒。著書に「復元・江戸情報地図」など。
 1936(昭和11)年生。



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