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2005年12月9日〜12月15日

英国グラモフォン 明治36年発売
 明治36年1月、レコード録音のため、英国グラモフォンの録音技師フレッド・ガイスバーグが来日した。その折にはこの快楽亭ブラックが、同国人の誼みから、通訳からプロデューサーの役までを引き受け、日本初の吹込みという貴重な功績を残し、そして彼自身もその特徴ある音声を八枚程の音盤に吹き込んだ。その一枚がこの『江戸東京時代の噺』で、漫談調のものではあるが、明治30年代という当時の時代背景がよく表れている。(都家歌六)

本名

出身
活躍年代
出囃子
H・J・ブラック
安政5年12月22日〜大正12年9月19日
オーストラリア
明治10年代〜大正半ば
改名と師匠 ハールブラック(明治9年)
英人ブラック(明治12年1月)
快楽亭ブラック(明治24年)
石井ブラック(明治26年)
快楽亭ブラック(明治30年代)

明治9年入門。
 日本における最初の外人噺家である快楽亭ブラックは、日本で新聞を発行していた父親と共に来日、始め明治11年頃に当時流行した演説会などへ出ていたが、明治12年横浜馬車道の富竹亭に誘われて出演、それがキッカケで芸人としての道を歩むようになる。しかし親戚中の反対で一時は英語塾等を開いたりしたが、やがて三遊派に加入、24年より「快楽亭ブラック」の看板をあげる。そして新作落語を自作自演、すっかり「べらんめぇ」のおかしな外人となり、明治20年代の後半から30年代にかけて当時の寄席におけるスターとしての人気を得た。だがその内だんだんと飽きられて人気を失い、ついには地方廻りとなり、旅先で自殺未遂。最後は東京へ帰ったものの、再び過去の人気を取り戻すことなく、関東大震災直後の大正12年9月19日、目黒区中丸の自宅において65年の波乱の生涯を閉じた。しかし、明治36年英国グラマホンが日本へ来たときはその仲介の労をとり、彼自身の声とともに、日本初のレコード録音という非常に貴重なる功績を残してくれたのであった。(都家歌六)



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